台湾特急自強号
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■ 想い出の列車 その7 台湾特急自強号

平成元年の頃だったかなぁ、詳しく忘れた、、、、。

記録を調べたら昭和62年だった。

職場の慰安旅行で台湾に行った。成田空港からキャセイパシフィックの香港行きで台北へ。

※ 早速の余談ではあるが、後に成田からJALのグアム行きに乗ったときは、クルーも乗客も日本人だらけで海外に行くという情緒が感じられなかったが、香港行きのキャセイは人種のルツボ。そもそも機内の臭いからして、脱日本といった感じ。

本題に戻すが、4泊5日の台湾(ほとんど台北)旅行中、職場の職員と一緒に食事をした記憶は、朝食1回と夕食1回のみ。あとは単独行動。

本当は嘉義から阿里山森林鉄道に乗りたかったが、結局乗車券の手配ができず、いきあたりばったりの台湾鉄道の旅を試みた。

まずは、ホテルからタクシーで台北站(駅)へ。
※ またまた、余談ではあるが台北のタクシーの助手席にはちゃんとした背もたれが無い、あるのはゴザの座椅子のような背もたれ、まずはこれにビックリ。そして、台北の駅前でウィッチングをしていたら、歩く人の背筋が伸びて姿勢が良いこと。これは日本と段違いだなぁ。

また、本題にもどるが、駅の窓口で切符の購入だな。もちろん中国語なんてしゃべられないから、ひたすら漢字攻撃。しかし、案ずるより産むが易しということで、台中行きの特急自強号の一等車のチケットをゲット。そしてプラットホームへ。ちなみにプラットホームは月台で汽車は火車だなたしか。乗ったのは当時の台湾の最優等列車の自強号で台北発9時ということで車内はビジネスマンがほとんど。観光客らしき者は見たところ私だけだったかなぁ。

さすが最優等列車だけあって、車内サービスは航空機なみ。雑誌は持ってくるしお茶のサービスもある。まだ朝御飯を食べていなかったので、車内販売で台湾の駅弁を買って食べた。御飯の上に豚肉を焼いたような物がのった非常にシンプルな弁当だったような記憶がある。味は忘れたが、全部食べた記憶があるから、そこそこだったんだろう。自強号の旅を終えて台中で降りて駅前に出ると、早速「しゃちょうさ〜ん」という客引きの声が。なんたって、こちとらショルダーバックとカメラをぶら下げてメガネをかけた、まるで日本人の観光客丸出しだものなぁ〜、声がかかるわけだ。あとで知ったが、台中は台湾の代表的な観光地である「日月潭」へのアクセスポイントになっているらしい。こちとらは、そんな観光地は興味ないので駅の構内に戻り、台北への上りの列車のチケットを買わなきゃ。

帰りは急行の呂(くさかんむりに呂)光号。やはり、自強号に比べると一段劣る、当たり前か。台北の戻ったのは午後、まだ日は高い。ということで、淡水行きのローカル列車に。途中には有名な北投温泉があるが、そこに行く日本人観光客は貸し切りバスで行くのが普通。従って車内は現地の人ばかりだ。列車はディーゼル機関車が引く長い客車列車だったような記憶がある。

淡水で降りて、どこでどう探したか記憶に無いが、とにかく台湾北部の港湾都市の基隆行きのバスを見つけたのでそれに乗り込んだ。なぜか、他のバスの行き先は全く土地勘が無いが、基隆くらいは知っていた。そこまで行けば、また鉄道で台北まで戻ってこられるとでも思ったんだろうねぇ。結構多くの乗客が乗ったバスは淡水駅をあとにして、街中から郊外へと走る。そのうちに、車内の乗客は一人、また一人と減っていく。こういうのって段々心細くなるんだよなぁ。バスは山道にかかり終いには乗客は私一人だけになる。ここで、心に隅ををふとよぎるのは、新聞の見出し。「日本人観光客行方不明〜」わー、恐!と思う間もなく、バスは峠を越えて下り道に、そうすると途中の集落で一人、また一人と乗客が乗り込んでくる。なぜか、ホッとする。そのうちバスの車内は満員となり基隆の街中に入っていく。そうすると、途中で乗り込んだ乗客は目的地の停留所で一人、また一人と降りて行き段々と少なくなって行くのだ。そして!また車内はひとりぼっちだ。でも、バスはそこで止まったままで運転手が私の方になんか話しかけてくる。そうかぁ〜、ここが終点なんだ、と思いそそくさとバスから降りた。台湾のバスの発着点って、たいてい大きなバスターミナルになっているからそこに着けば終点だと思っていたが、フェイントにはまった。ただの街中の裏路地の停留所じゃないか!!

そこから基隆駅まで、どこをどうしてたどり着いたのか記憶に無いが、数両編成の気動車の快速に乗って無事に台北のホテルに戻って来ました。はぁ、疲れた1日だった。

※ そして、最後の余談ですが、翌日一人で台北市内の蕎麦屋で蕎麦を食べていた。やはり、日本食が恋しくなるし、昼から中華料理はなぁ〜。そうすると、向こうの席に両脇に若い女性を従えた、中年のおっさんがいた。その時は分からなかったが、後日考えると、前夜のお持ち帰りの女性を従えた日本人の観光客なんだなぁ、と納得。
ちなみに、私の泊まったホテルは、中級以上のちゃんとしたホテル(手配は山新観光だぞ!)だったが、夜になるとボーイが部屋の戸をノックしたものなぁ。「しゃちょうさ〜ん、おんなのこいるよ」と。。。。お粗末。

当時はまだインターネットもGoogleMapも電子外国語辞書もなかったしなぁ。たぶん、ガイドブックと中国語の本でも片手に歩いたんだろうなぁ。もっとも、今でも東京に行くとまともに地下鉄に乗れないし、地下街も歩けない。どうも地下にはいると私のGPS機能が停止するようなんですよ。従って、極力移動は地上の電車。暇なときは山手線の一周も苦にならず!

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