仙石線
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■ 想い出の列車 その5 仙石線

高校を卒業して大学に入る前の2年間を仙台で過ごした。いわば浪人(予備校)生活である。当時は一浪を「ひとなみ(人並み)」と読むような受験地獄で、まさに予備校にはいるのは人並みの出来事であった。

一年目は予備校の寮に住んでいた。本町にあった予備校から徒歩10分の所であった。しかし2年目は寮には居れないので、1年間の下宿暮らしをした。場所は東仙台駅南の中原、下宿から徒歩10分弱の所に仙石線の苦竹(にがたけ)駅があったので、そこから電車に乗って陸前原町、宮城野原、そして仙台と3駅の列車の旅を毎日していたものだ。

仙石線はもともと私鉄とのことで、東北地方が交流2万ボルトで電化されているのに対して、仙石線は直流1500ボルトで電化されている。従って首都圏の電車と互換性があるため、山手線の中古電車が多く走っており、塗装も同じうぐいす色であった。編成は2両又は4両でたしか、片側3扉?のロングシート車ではなかったかと思う。そして大抵は一番仙台駅よりの一両目に乗った。

乗車駅である苦竹駅は国道45号線をまたぐ高架駅で対面式のホームがある。朝は言わずと知れたラッシュである。石巻や塩釜方面から来る電車はすでに満員である。電車は苦竹駅を発車すると右に大きくカーブを切って高架を下って行く。そうすると間もなく陸前原町駅だ。ここには電車基地がある。陸前原町駅を発車すると次は宮城野原駅。今でこそ、楽天球団の本拠地の宮城球場で有名だが、当時は周囲に高校が点在し車内の高校生の多くはここで降りた。この辺から仙台駅の間は現在地下化しているが当時は地上を走っていた。

宮城野原と仙台駅の間はカーブを切りながら家並みを縫って走る。そして間もなく終点の仙台駅の仙石線用の島式ホームに着く。仙石線用のホームは仙台駅の東口にあったが、当時の東口は再開発事業が開始される前で、殺風景な風景が拡がっていた。従って電車を降りた人たちのほとんどは地下道をくぐって西口に出る。そしてそこには東北の中心都市仙台の繁華街が拡がっていたのである。

* 昔の記憶を元に記述しているので時刻や詳細には誤りがあるかもしれません。

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