急行「津軽」
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■ 想い出の列車 その1 急行「津軽」

夜行列車が隆盛を極めた昭和。大学受験で足繁く東京に通っていた時代の物語である。

当時は「一浪」を「人並み」と読み、受験で一浪するのは当たり前と考えられていたものである。

結局二浪で大学に合格するまで、受験の季節になると主として首都圏の大学まで足繁く通ったものである。

行きは特急「やまばと」。詳しくは忘れたが、たしか朝の8時頃に山形を発ち上野に昼の12時半頃に着いたと記憶している。大体、受験日の前日に東京に行き、午後からは受験場の下見。そして宿屋(ホテルでは無い)に泊まった。どの様な所に泊まったか、今ではほとんど記憶にはないが唯一記憶にあるのが「東急修学旅行会館」。

渋谷駅からバスに乗って、目黒区か渋谷区かはわからないがたしか「大橋」というバス停で降りたと記憶している。ここはその名のごとく修学旅行の生徒が泊まる宿舎なのである。しかし、2〜3月は修学旅行も少なく、その時期は受験生用の宿になるのである。もとより修学旅行用の宿なので団体での宿泊を想定している。従って、大部屋に「その日初めて会った知らない受験生」と雑魚寝である。当時はそんなもんだと思って気にもならなかったものであるが、今だったら、考えられないことなのだろう。

翌日は受験会場で試験を受けた。そして終わり次第上野から山形行きの列車に乗るのだが、受験会場の場所によって上野駅までかかる時間が違う。たしか試験は夕方の4時か5時に終わったので、会場によっては6時過ぎの最終の特急「やまばと」に間に合ったはずだ。しかし、「やまばと」で帰郷した記憶はほとんど無い。では何で帰ったのか?それは7時半頃に上野を発つ急行「津軽」であった。津軽はかつてから「出世列車」と言われ、集団就職や出稼ぎでよく使われていた列車で、上野を発ち東北本線を北上し、福島から奥羽本線に入り山形には夜中の1時半頃に到着する。上野〜山形間は約360kmであるから表定速度約60km/h、約6時間の旅である。津軽は、その後奥羽線を北上し秋田から弘前を経由して青森に着く。このような夜行の長距離列車であるから当時は二等寝台を連結していたと記憶している。もちろん私は山形までの旅なので寝台は利用した記憶は無く、二等座席指定を利用したと記憶している。当時はまだ「グリーン車」という言葉もなかった。

当時の夜行の急行列車の車内は今とは全く違う雰囲気を持っていた、まぁ時代も時代なので当たり前のことであるが。上野を発つときは結構都会的な雰囲気もある。なぜなら宇都宮あたりまで帰るサラリーマンなどが結構乗っていたからである。当時の津軽の車内が空いていたという記憶はほとんど無い。4人がけのボックス席で空席があった記憶は無いので、たぶんいつも満席状態だったのあろうか。

そのようなわけで、帰宅のサラリーマンは席が無い。酒を片手に通路に新聞を敷いて座っているのが当たり前だったようである。当時は車内販売もなかったので通路に座っていても邪魔にならなかったのだろう。

黒磯で直流の電気機関車から交流の電気機関車に付け替える頃には帰宅途中のサラリーマンはほとんど姿を消し、残った人のほとんどは山形以北を目指す人たちであった。受験の時期であるから、2月か3月である。福島を過ぎて奥羽線最大の難所(最大33パーミル)である板谷峠を越える頃に時計の針は夜中の12時を指す。その頃には周囲は雪景色となり、列車の窓の明かりが雪に反射するようになる。時には吹雪の時もあっただろう。建て付けの悪い旧型客車で窓際の席にあたると隙間から寒風が吹き込んでくることもあった。おまけに夜行列車なので、夜中には多くの人が寝ている。窓際に座ると、通路側の寝ている人を乗り越えてトイレに行かなければならない。一般に窓際が上席と言われているが、この場合は通路側が上席なのである。ただし、通路に酔っぱらいが寝込んでいなければの話であるが(^_^;)

通路側が上席というのは、今でも航空機などではよく言われていることである。まぁ、この上席という意味は礼儀上の意味では無く、あくまでも快適性の意味だのだが。

話は戻るが、板谷峠を下ると現在は米沢牛で有名な米沢である。そして、次が下車駅の山形駅。うろ覚えではあるが到着は5番線ではなかったかと思う。おりしも時刻は丑三つ時に近い午前1時半。

降りようと網棚(当時は本当に網棚だった、今はなんと言うのだろう?)から荷物を降ろそうとした時、傍らのおばちゃんの声が聞こえてきた。「こんな時間に列車から降りて、どうやって家に帰るんだろう?」。たぶん東京の人だろうか、終電が過ぎると自宅に帰れなくなる東京とは違う。山形は小都市である。多くの人はタクシー乗り場に急ぎ自宅へ向かっていた。かくいう私も同様である。山形駅から約3km、現在でもタクシーで約1700円、所要時間約15分。かくして、私の東京からの6時間の列車の旅は終着を迎えるのであった。

* 昔の記憶を元に記述しているので時刻や詳細には誤りがあるかもしれません。

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